広島県広島市 川堀病院 肛門科 痔 いぼ痔(痔核) 切れ痔(裂肛) あな痔(痔ろう)

病院概要

川堀病院の成り立ち

当院は初代の川堀熊之助(私の祖父)が、満州新京で痔の診療をしていたのが始まりです。満州から日本に引き揚げて間もない頃、初代は郷里の島根県で開業していました。その後昭和24年に、ここ広島へ医院を移転し、本格的に痔の診療を開始しました。

この地には偶然にも戦前まで、”ぢ”のお地蔵様があり、痔の患者さんが症状回復のお札を取りに来ていたところだったそうです。

先代の川堀耕平(私の父)は太平洋戦争後、過酷なシベリア抑留を4年余ヶ月間経験しました。日本人捕虜が重労働に適するかどうかの健康診断を行うにあたり、ロシア軍医さんはなんら診療器具を使うことなく、「衣服を脱がせ、後ろ向きにさせて、尻をキュッとつまむ」という方法で、瞬時に1級(重労働)、2級(軽労働)…と順位を判断していたそうです。つまり、お尻の肉の厚さと弾力で健康状態を見極めていたわけです。先代はこの光景を見て「ヒトは尻が主役だ」と思うようになりお尻に興味を持ち、初代の仕事ぶりをそばで見ていたこともあって、日本に生きて帰ることができれば、それを専門にしようと考えていました。昭和24年、日本に帰国後医学部に入学。その後、昭和35年に川堀病院を開業しています。

そんな環境で育った私は大腸肛門疾患の専門がある広島大学医学部第二外科に入局。消化器外科・大腸グループに所属し、当時広島では痔を専門とする医師が少ない中、大腸とお尻の病気を数多く診てきました。お尻の病気は百人百穴、千人千穴で、全ての患者さんの病気の状態が異なります。治療法も様々で、手術となると、基本の術式は当然ですが、様々な状態に応じた手術方法を選択し、術後は肛門機能を損傷しないようにすることが大切です。また、当院は大腸肛門病学会専門医修練施設に認定されており、専門医の育成にも尽力しています。

私たちは昭和、平成の激動の時代の中で大腸肛門外科の専門病院として70年近くここ広島で地域住民の方のお尻の疾患の予防、診断、治療に力を注いで参りました。これからも患者さまに満足していただけるよう、痔の診療を極めていきたいと考えています。
今後とも川堀病院をよろしくお願い致します。

平成28年6月吉日 院長 川堀勝史

病院理念

大腸・肛門外科の専門病院として、温かく心のこもった医療を提供し社会に貢献します。

基本方針

  • 「良き医療活動は良き人が根幹である」との
    方針のもとに「人間尊重の職場づくり
    人間尊重の医療を行う病院」を目指します
  • 患者さまとのコミュニケーションを大切にし、
    患者さまの立場になって
    心のこもった医療を実践します
  • 安全・確実な医療の提供に努めます
  • 教育・研修活動をすすめ、医療・看護・接遇の向上に努めます
  • 各医療機関との連携を図り、
    地域医療に貢献します

職員の行動指針

  1. 安全性
  2. 思いやり、
    ホスピタリティーマインド
  3. 感謝
  4. 信頼
  5. 礼儀正しさ(身だしなみ)

三渓会・川堀病院のシンボルマークは蝙蝠(こうもり)です。
中国では古来から「蝙」が「蝠」に通じるというので幸福の象徴として喜ばれています。
なお、「かわほり」は「こうもり」の古い呼び名です。

川堀耕平先生の軌跡

先代院長 川堀 耕平

~わたし達は先代の想いを大切に受け継いでいきます~

川堀病院のモットー 私達はいつも笑顔を忘れないようつとめております しかしつい忘れてしまうことがあるのです そんな時は声をかけて下さい 「君、笑顔がないよ」ふれあい さわやか 川堀病院一同

たばこの害を訴える禁煙活動や
IPPNW(核戦争防止医師会議)の
会員としても積極的に活動

先代は、診療の傍ら「三かく主義」で絵を描く、文を書く、恥をかくという
人生を楽しんでいました。絵を描けば日展入選数回、日本医家芸術大賞受賞、
川堀病院の病室や廊下の壁にはその作品が飾られています。

忍野富士

日本の象徴である富士山は、多くの画家によって描かれているが、点景でない富士で画面を持たせるのは
余程の大家でないとできない。大きくとらえるほど、むずかしい。
私は忍野村から見た富士が好きで、一目惚れしてもう十数年になる。最も美しいのは一月から二月だが、
忍野の冬は寒く、手も凍り足も冷える。そんな私に富士が呼びかける。
「さア、どう描くか、描いてみろ」

川堀耕平
(平成12年1月広島市医師会だよりより)

金龍禅寺 本堂の天井画

金龍禅寺(中区小町)の本堂の天井画です。天井いっぱいに描かれた
「宝珠雲龍」図は圧巻で、先代の生涯で1番の大作です。

著書

痔の守り神ぢおんさんの話

当院の玄関のすぐ横には、ぢの石碑があります。
この場所にはその昔、ぢのお地蔵様が祀られていたそうです。たまたま当院に入院された患者様が、
そのお地蔵様のお話をまとめられています。

25年前(平成2年)、当時の蓮照寺住職より「自雲(じうん)さん」の聞き取りをした。
2年前の春(平成25年)、突然「痔」で入院し、手術をするはめに・・・
先輩諸氏より「痛いぞ」「苦しいぞ」などと脅されながらも腹を決め
「蓮照寺」の「自雲さん」にお参りをし、生まれて初めて自分の身体にメスを入れたが、痛みもなく術後の経過も良く、早く退院できた。

入院が長引くと思い、入院中に紙芝居「自雲大権現(じうんだいごんげん)」の草案をまとめようと、川堀病院に資料を持ち込んだ。住職から聞き取りをした資料を読み直し驚いた。川堀病院の向かい「松川公園」の場所に、江戸時代「ぢおんさん」(「自雲さん」)が祀られていたこと、そして現在は病院の2~3件隣に「妙詠寺」が在る。さらに、その「自雲さん」を譲り受けた「蓮照寺」が、「自雲さん」を参拝しにくる人々のために旧参道入り口に建立した「道標」(25年前に根元から折れ、倒れたままになっていた)が、今は川堀病院の横にあるではないか!
しかも、お世話になったドクターが同じ島根県出身とあっては、もう他人事とは思えず、ドクターの許しを得て手術後3日目からリハビリを兼ね妙詠寺住職や、古老の聞き取りを一週間行った。

原爆投下70年、私も古希を迎える。あれもこれも・・・
前蓮照寺住職や「自雲大権現」様のお導きとしか思えない。

合掌
平成27年4月30日
N.S

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